アメリカ・ノースカロライナ州にある日本人向けの牧場「グリーンウェイランチ[GREENWAY RANCH]」ブログ

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Dec

07

2023

みどりのThat’s録・(馬旅2020年 No. 05号)

時は1980年代、バブル景気が始まろうとしていた頃です。

日本に住んでいた私は大学を卒業後、
周囲の学生がするように企業に就職しました。

その動機は今思えば呆れてしまいますが、
当時の私は自分の夢や目標が分からず周囲に流されるまま生きていたので
会社選びの基準は英語を活かせる部署があって、
知名度と所在地が良いというのが主でした。

それに加えて就職活動に至ったのは、父の
「大学を卒業したら会社勤めをしなさい。」
という言葉に従う以外思いつかなかったからです。

晴れて社会人になり安定した収入を得られるようになった私は、
ひょんなきっかけから乗馬を経験しました。 

子供の頃は、セミやトンボを網で追いかけまわし、
捨てられた子猫や子犬を家に持ち帰って母に怒られ、
ヒヨコや金魚を育てたりで・・・
おおよそ女の子が好む遊びとはほど遠い事をしていました。  

そのような、動物と自然が好きと言う性分が土台にあったせいなのか、
一回の乗馬経験で馬の虜になり寝ても覚めても馬の存在が
私の心の大半を占めるようになっていきました。

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通勤電車の中で手にする本は決まって馬に関するもので、
会社のデスクには大好きな馬の写真を置いてそれを眺めながら、休みの日が来るのを
指折り数えた状態で9年近く会社に在籍したのは褒められたものではありませんが、 
今は無き父が、やっと自分の娘が社会人になり
一般的なレールの上を歩み出したことに安堵している様子を見るに付け
進路を変えて父を心配させたくないという思いに躊躇したのは事実です。 

会社が休みになると馬に取りつかれたように泊りがけで乗馬しに出かける娘の有様に
父が良い気持ちを抱かなかったのは痛いほどわかっていました。  
私には、欲しいものや、やりたいことがあると後先考えずに突っ走るところがあるので、
そんな性格を心配してのことだったと思います。  

それに加えて、私が会社勤務をしていた頃はちょうどバブル景気の真っ盛りの時代で
ボーナスを含めて収入は安定していましたし、
「サラリーマン」という職種は、まだ終身雇用的な傾向があったため退職するのに二の足を踏んでいたのも事実です。  

ただ自分主体の考えになってしまいますが、
中学から高校卒業するまでの4年間をアメリカで過ごした私にとって、
日本の企業で働いた経験は日本人特有の精神性を知るきっかけになったとともに、
どちらかというと、お堅い部署である総務部人事課に配属されて得た感覚は、
現在の牧場運営という全く畑違いの仕事であれ、
大きな糧になったのでありがたい時間を過ごさせていただいたと思います。  

楽な生き方を選ぼうと思えばできたのに会社を退職後、
紆余曲折を経験しながらなぜ牧場経営の道を選んだのか、
そしてなぜ仕事としてはハードな馬相手のものなのか、
当の本人ですらその真意は測りかねるときがありますし、
そもそも、今やっていることが現実として起こりえた事も不思議に感じます。

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人生の選択において私の意識が変化しだしたのは、
40年前に日本で乗馬を始めてからでした。  

まだ馬にろくすっぽ乗れない時期から
『自分の乗馬クラブを持ちたい』
という気持ちが密かに芽生え始めたのがきっかけです。  

よく一人で外乗に出て長い時間をずっと常歩しながら
建設資金のあてもないのに、乗馬クラブを建てるとしたらどのあたりにして、
どのようなものを作るのかなど、
心地よい馬の足音を耳にしながら物思いにふけるのが楽しかったのを思い出します。 

乗馬クラブを持つという私の夢はそれから長い年月の間、
ぼんやりした輪郭で漠然としていました。
  
その思いは、まるで砂粒のような小さな種で、
まだどのような植物になるのか見た目には分からず、
果たして発芽することができるのかさえ分かりませんでした。  
そして、その種は心の中で見え隠れしながら存在はしていましたが、
風に吹かれてどこかへ飛んで行ってしまいそうな時も幾度かありました。

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(写真は日本で会社勤めをしながら休みの日に乗馬クラブへ通っていた頃のものです。)





2023/12/07 23:21:44 | リンク用URL

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